伊豆の「公方」足利政知のこと。
8代将軍義政の実弟で出家に天竜寺の香厳院に住む僧であったが、義政が還俗させて関東に派遣した。
還俗して足利政知と名乗り東へくだった。ただ、もとの「関東公方の足利成氏」の勢威は強く、足利政知は伊豆にとどまって関東に入れないまま「公方」と称した。
これが韮山平野の堀越に御所をもつ伊豆公方、もしくは堀越公方と呼ばれる存在になった。
足利政知は30年も伊豆に足をとどめて、いつかは関東を、と機を待ち焦がれていた。
しかし、伊豆が関東を制するという幸運は源頼朝と北条氏とに起こった奇跡だけで、足利政知にはその運は巡って来なかったのである。
明応2年(1493) 北条早雲が堀越御所を急襲し、足利政知(足利茶々丸ともいう)を滅ぼした。
足利政知の墓は、願成就院にあります。