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第四回 狩野川放水路構想自体は古く江戸時代、韮山反射炉の建造で知られる代官江川坦庵が計画している。
昭和26年に着工、狩野川台風をはさんで昭和40年に完成。
全長ほぼ3キロで山の向こうの沼津・江浦湾に注ぐ。狩野川台風クラスの出水だと、中流部の洪水量は毎秒4,000トンになると推定されます。その時その半分の2,000トンを放水路に分流すれば災害は防ぐことができるのです。
第三回 狩野川台風狩野川公園に建つ慰霊碑。
昭和33年9月26日関東地方を直撃した大型台風(最盛期には中心気圧877ミリバールを示す。湯ヶ島の総雨量は753ミリに達していた。)
狩野川流域だけで犠牲者は800人を超えた。全国では9,000人余が犠牲となった。
第二回 狩野川日本書紀に「冬十月伊豆国に科せて、船を造らしむ。長さ十杖。・・・其の船を名づけて枯野といふ」とある。
天城湯ヶ島町松ヶ瀬で朝廷の命により献上船が作られた。その献上船”枯野”が狩野の地名となり、狩野川と呼ばれるゆえんである。
狩野川は湯ヶ島温泉から下流の名称でそれより上流は本谷川という。
第一回 伊豆長岡駅田方平野を縦断し、蛇行する狩野川に沿って三島‐修善寺間を結ぶ伊豆箱根鉄道駿豆線、通称「伊豆っぱこ」。
その伊豆っぱこで三島より20分のところに伊豆長岡駅があります。